BLOG, 旅の話
奇天烈インド旅行記編 ②
前回に引き続きインド旅行記をお送りしてます。
奇天烈インド旅行記編 ①を読んでいない方は、まずはそちらを読んで頂いた方がお楽しみ頂けると思います。
さて、インドの旅も後半戦。強盗に出会い、詐欺られ、監禁され…、後半はどんな出来事が巻き起こるのでしょう。
まさかの強盗に出会い、もうインドからはとっととおさらばしたかった。
早く、早くゴアへ行きたい。なんとしても。
強盗に出会った街から、ゴアへ向かう列車の中、僕は心底うきうきしていた。この辺りの気持ちの切り替えは早いものだ。
列車の中から見える風景は、いつもとは違う風景だ。
ヤシの実が見え、海岸線沿いを走る。とっても清々しい、まるで「世界の車窓から」の主人公になった気分だ。インドの南国の楽園、ゴアへ近づいているという実感が湧いてきた。
つ、着いた!!
!?
…ここは本当にインドだろうか、白い砂浜、透き通る青い海、砂埃まみれの街を移動していた僕からすると、まさにここは楽園だ。
簡単に説明すると、ここは旧ポルトガルの植民地だ。インドの文化と、西洋文化が合流した、穴場のリゾート地だ。本当に穴場なので、是非行ってみて欲しい。
町並みはこんな感じ。
どことなくインドだが、少し雰囲気が違う。
目立つのは、アジア系の環境客でなく、ヨーロッパ系の観光客だ。目立つといっても、見かける程度で、やはり現地人が多い。
さっそくゲストハウスを借りる。しばらくここで沈没だ。
まあまあのゲストハウスを借りてやった。どっちにしろ安いもんだ。
さあ、バカンスだ!
ゴアの楽しみ方は、バイクをレンタルし、ビーチからビーチへ駆け回りながら、散策するのだ。
僕は近場のビーチを目指し、サングラスをかけ、バイクに乗り爆走していた。最高に気持ちいい。ああ、世界って広いぜ!もはや強盗なんて忘れていた。
ビーチへ到着、水着は持っていなかったから、適当な布を纏い、盛大にバタフライして、キャッキャッ騒いでいた。当然1人である。爆浮きである。
海辺でかき氷のようなものを食べながら休憩していると、
やはり、インド人が声をかけてきた。
「やあ、耳かきはいかが?」
耳かき?
そ、そういえば、旅が始まってから、耳かきをしていない。インドの露天には耳かきは売っていない。これは、盲点を突かれたし、そもそも、声をかけてきたインド人がくそ美人である。
「あ、はい。お願いします」
美人につられた。
値段も良心的な価格を口頭で言われた。日本円で50円くらいだ。
青い海を目の前に、綺麗なお姉さんに耳かきをしてもらう。
ああ、ここは楽園だ。
「終わりましたよ、こんなに取れました」
へえ、こんなに取れたんだ。
…?!
ティッシュの上には、絶対、絶対、ありえない大きさの15センチくらいの綿埃がおいてある。
「こんなにとれたわよ、これは別料金ね…2000円です」
えーーーーーーーー!
え、なに、この新手の詐欺。
「おい、ちょっと待て。確かに君は美人だし、耳かきは気持ちよかった。でも、50円って言ったからお願いしたんだ」
「いや、でもほら、こんなに取れたから」
「いやいやいやいや、だからそんなの入ってるわけないやん。絶対、今おいたやん!ほら、最初より多く200円あげるよ」
「は、まじあり得ない!!この詐欺師!!アッラー(神様)に呪われろ!!」
ああ、やっぱりここはインドだ。
ゴアの楽しみはなんといっても夜にある。昔からこの地はヒッピー達の聖地と言われてた。
毎晩毎晩どこかのビーチで、ヒッピー達が集まるパーティが開かれるのだ。海の家的なところで、DJが音楽を流して、みんなでばか騒ぎするのだ。
僕ももちろん参加することにした。
白人の綺麗なギャル達が水着姿で騒いでたり、みんな砂浜でBBQしたり、フロアで踊り狂ったりして、超ピースな空間だ。
マジックも披露する。もう大安売りである。いいのだ。ここはインドだし、僕の勝手だ。
そしてぶっちゃけ、モテた。完全にナイスなガイである。
完全にどうかしてる日本人として見られていたと思う。
そんなこんなでパーティに行っては毎晩、ロシア人の白人の綺麗なお姉さんと抜け出して、一緒に月を見たり、マジックを見せたり、お酒を飲んだり、素敵な夜をすごしていた。
長い間沈没していたが、そろそろ飽きてきた。
出会った白人ギャルやら、パーティピーポー達に見送られ、次の街を目指すことにした。
そろそろ、北へ戻らなきゃいけない。帰国はデリーからだから、いつまでも南にいてられない。
目的地はジャイサルメルというところ。パーティピーポー達におすすめされたのだ。
今度は打って変わって、キャメルな感じの砂漠地帯だ。
移動は飛行機を使った。一気に北上。片道3000円くらいだからやすいもんだ。
到着すると、そこはゴアとはがらりと雰囲気が変わり、アラビアンナイトの世界だった。
町並みはこんな感じ。砂漠の街というのが伝わると思う。
到着後、一瞬で体調を壊した。突然の話だ。
食べてるものもおかしなものばかりだし、気温は40度を越えている。体調を壊しても不思議じゃない。
…が、その体調の崩し方が半端ではないのだ。
一日中、吐き続け、下痢はやばいし、熱もある。細菌系のやばいやつである。
ああ、こんどこそ詰んだ。
フラッフラになりながら、病院を探すが、病院なんか見当たらない。
僕は道ばたにうずくまっていた。本気で死にそうだった。
「おい、大丈夫か!しっかりしろ!」
インド人が話しかけてきた。
くそ、こんなときにも、詐欺ろうとするのか、なんてやつらだ。
「大丈夫だ、ほっとけ!お金はない!」
「何言ってる!大丈夫じゃないだろう!私の家にきたまえ!」
と、半ば強引に家に連れて行かれた。抵抗する気力もなかった。
僕の疑いとは裏腹に、すっごく親切にしてくれた。
家のベッドに寝かせてもらい、奥さんが野菜スープを作ってくれたり、得体の知らない薬をくれたりした。
一日寝込んだら、すぐに治った。インドの薬やばい。
僕は心底、感謝して、こんなに良い人を疑ったのを後悔した。
お礼にお金を渡そうとしたが、受け取ってくれなかった。
「神があなたを救っているのです。旅を楽しんで。」
インドで何回、泣いてであろうか。しかし今回は感謝の涙である。
インドは詐欺師ばかりじゃないんだ。当然、いい人もいる。
日本では考えられない経験だった。
「本当に人の優しさははかりしれない」
僕の旅日記にはそう書いてあった。
この日は、近所で仲良くなった子ども達を集め、小学校でマジックショーを開いた。
みんな初めてみるマジックに目を丸くして驚いていた。
素敵な経験だった。
まあ、この薄汚いバックパッカーが日本ではこう(↓)なるのだから、人間というのは信用できない。
次の日から砂漠の民がいるという街に向かうことにした。
移動手段はラクダである。まさかのラクダ。
夜は砂漠でテントをはり、満点の星空を見ながら寝るという、ドラクエ要素満点の旅路だった。
砂漠の民の街、クーリーに到着。
特にまあ…、こんなもんか程度だ。色んなものを見すぎて、感覚が麻痺してる。
帰ろうとする。
!?
衝撃である。そこにいるはずのラクダとガイドがいないのである。
詰んだ。
砂漠のど真ん中に置いてけぼりをくらったのだ。もちろんお金は前払いである。
ほんと、人道的にどうかしてる。
いやだ、このまま砂漠の民になるなんて、絶対にいやだ。
なんて、半日ほど泣きそうになっていると、どうやら現地の人も普通に街に行くらしく(まあ、考えたら当たり前だが)、お金をはらって同乗させてもらった。
…助かった。
ジャイサルメルも後にし、デリー近辺のある村で遊んでいた。ここは、サドゥーと呼ばれる聖職者が集まる街として、かなりディープなスポットだ。街のほとんどが寺で構成されていて、観光客は近寄らない。
ちなみにサドゥーはこんな感じの方々。
で、何を間違ったか、僕はこの街の食堂で、スプーン曲げを披露したのだ。
スプーン曲げはマジックの中でもかなりビジュアルで、言わなければ超能力で通ってしまうほどのインパクトを持つ。
そう、僕は”ホンモノ”と勘違いされたのだ。
あっという間に人だかりができ、「仏陀の再来だ」のなんだの言われて、気がつけば小さい子が果物を渡してくる(マジ)。
色んな意味で怖くなった僕は、こっそり電車でデリーへ向かった。
海外でのスプーン曲げは封印することにする。
さて、インドの旅のお話はこれで終わりです。
デリーからの帰国はトラブルもなく、すんなりいけました。
まあ、かっこよく”何かを学んだ”とか”変わった”とか言うつもりはなく、娯楽として楽しかったよってところです。これからインドに行く人に参考になれば幸いです。
ただ、楽しんでもらうため、インドの悲惨な一面は省きました。
やはりそこには貧富の差が激しく、娯楽に飢えている人たちが多くいて、日本ってなんだかんだ恵まれてるなー…とか正直思ってしまう現状はあります。結構ショッキングです。
”世界に娯楽を”なんてことを考えたきっかけは、色んな国を回って、現地の人と触れ合って来たからかもしれません。
そんなこんなで僕は自らもマジシャンとして活動しながら日本、そして世界に向けて仕掛けていきます。