BLOG, 旅の話
奇天烈インド旅行記①
さて、海外旅行編はとりあえず、これが最後。回った国はもっとあるんですが、ハイライトって感じでお送りしております。
今回は個人的に最もぶっ飛んでたインドでのお話。お暇なときにでも読んでください。
これからインド行く人には参考になる…かも。
すっかり海外旅行にはまり、大学の長期休暇はほぼ、どこかの国をふらついていた。
東南アジアでは、到着したその日に荷物全部を盗られる等々、悲惨ながらもエキサイティングな旅をしていた。
そんな中、必ず行ってみたいと思っていたのがインドだ。会う旅人会う旅人におすすめされた。
インドはバックパッカーの聖地ともいわれ、旅の難易度は格段に上がると言われている。
今回も特に下調べ無し、ノープランでチケットだけ買って、飛び出した。
10時間ほどの空の旅を終え、無事、到着したと思っていたが、飛行機がディレイしていたため、着いたのは夜中だった。
空港で日本円をルピーに両替、この時点でやたらと周りのインド人の空港スタッフに見られる。危険を感じたので、お札を数えるのをやめた。もう空港から、インドは様子がおかしい。
インドでは特に、夜中の行動は控えるべきだったらしいが、そんなことは例によって知らない。ワクワク感に背中を押され、我先にと空港を出た。
そして、すぐに戻って来た。
さっそくカルチャーショックを受ける。
出た瞬間、「マネーマネー!」と言いながら、ボロボロの服を来たおっさん達にすごい形相で服やリュックを引っ張られ、小さな子供にはズボンを掴れた。大勢の物乞いに囲まれたのだ。
リアルバイオハザード。ゲームオーバーな状況である。思いっきり振りほどき、空港の中に戻って、体制を整えることにした。
どうやら、空港タクシーを使うのが賢いらしい。皆、空港タクシーを使っている。
タクシーに乗り、デリーへ向かった。
運転手が「ホテルはあるのか?」「インドは初めてか?」とやたら優しい。なんだ、インドの人、むちゃくちゃ優しいわ、そう思った。
“決して高くない値段で泊まれるというホテル”まで案内された。確か、口頭で、一泊400円くらいと言っていた。
親切なタクシーの運ちゃんに別れを告げ、ホテルのフロントへ。なんと、もう部屋を予約までしてくれているらしい。なんて良いやつだ。
確認のため、値段を聞いてみる。
「8000円です」
戻って殴ってやろうと思ったが、もうそこには姿はなかった。ものの3分である。
関西弁でキレて、強硬にその場を立ち去るが、辺りは真っ暗、様子がおかしい野犬がワンワン言っている。
なにこれこわい。
野犬ににらまれながら、なんとか、予算内のホテルを探し、一夜目は終わった。
一夜目にしてこれだ。先が思いやられる。
真夜中だから、外の様子もよく分からなかった。
インドというと、テレビでは、”IT大国”だとか言われているし、どうせある程度都会だろう。
しかもここ(デリー)首都だし。そう思っていた。
参考までに、これは我が国の首都東京。
僕の中では、首都のイメージは大体こんな感じだ。マレーシアだって、中国だって、アメリカだって、規模や質の差はあれど、大きくイメージと異なることはない。首都とはこういうものだ。
インドで初めての朝、ワクワクしながら僕は、外に出た。
?!
牛が、いる。道路は塗装されてないし、信号もあってないようなもの、10秒に一回くらい片言の日本語でタクシーに誘われる。
少し舐めていた。ITって言葉知ってるやつの方が少なそうである。
今までのアジアの国とは色々とレベルが桁違いに感じた。
まあ、それにしても夜とは違い、すごい喧噪である。
とりあえず、現地人がそうしてるように屋台に並び、チャイを飲み、落ち着くことにする。
甘すぎる。作ってるところを見ていると、砂糖が飽和限界まで入れている。シロップの原液くらいの甘さである。しかし、嫌いではない。
チャイは北のインドでは最もポピュラーな飲み物だ。何かあったら、チャイだ。
とりあえず、デリーには用はなかったので、次の街に移動する。インドの移動は基本列車だ。
駅で切符を買うために、駅へ向かう。東京のラッシュの何倍もの人だかりだ。
切符を買うために列の一番後ろに並ぶ。
…何故か、並んでも並んでも、順番が回ってこない。どういうことか、ずっと一番後ろだ。
よく見ると、後ろから普通に割り込みしてるやつがたくさんいる。
ああ、順番を守ってるのは僕だけだ。ここは日本ではないと実感する。
グイグイと順番を飛ばし、割り込み、チケットを購入。もう秩序とか守るのはやめた。
列車に乗る。列車は指定席で、バラナシまで、夜行で一晩というところ。
ちなみに列車はこんな感じ。まるで牢獄である。
初めてのインドの夜行列車。ベッドに全ての荷物をチェーンで固定し(盗られないため)、バックパックを枕にして寝る。この辺りは慣れたものだ。
寝るとは言っても、昼間も走るので、寝れない時間も多くある。
そんなときの暇つぶしは、相席のインド人にマジックを見せて過ごす。
これがとんでもなく盛り上がる。車両中の人が僕の席に集まりだし、大変なことになったこともあった。
結果から言うと、バラナシは一番僕にとって魅力的な街だった。
偶然出会った、日本人愛好家のインド人に世話になり、色んな体験をさせてもらった。
もちろんガンジス川でバタフライもした。ガンジス川に入ると病気になるとか言うけど、そんなの嘘。どうもならなかった。
ガンジス川は本当、神秘的だ。半日座っていて、川を眺めていたこともあった。
毎週開かれる、ヒンズーのお祭りには心底感動して、涙を流した。すごくピースな空間だった。
向こうで知り合った人たちとガンジス川ツアーもした。朝日が素敵だった。
ちなみにこれからバラナシに向かう人”ムケのシルク屋”というところに行ってみて欲しい。僕の写真が飾られてある。
地球の歩き方(ガイドブック=必需品)を忘れていったアホなマジシャンと言えば、分かってくれるはずだ。彼らは無駄に記憶力がいい。
後に、有名な旅人として本を書くことなる人と出会い、行動を共にする。
詳しくはこちら→「旅の出会いは偶然にチャリダー石田ゆうすけ氏」
バラナシから、アグラに向かい、タージマハルを見た。
壮大な景色に、物凄く感動した。
…が、個人的に観光地化された土地にそこまで魅力を感じなかった。世界遺産の衝撃より、人々の様子や、考え方、等々…文化自体のショックの方が大きかった。
ブッタガヤのハズレで瞑想体験をするため、お寺を巡っていたら、監禁された。
詳しくはこちら→「インドで瞑想したら大変なことになった」。
一ヶ月ほど旅をして、素敵な出会いもあったが、正直なところ、気が滅入っていた。
どこを歩いても詐欺師だらけだし、ぼられるし、ご飯はカレーばかりだし、トイレは手でブツを拭かないといけないし(お食事中の方すいません)…。
ってなことをヨーロッパの旅人に愚痴っていたら、「インドには楽園があるんだよ。ゴアさ。あそこはいいぞー。」なんてことを教えてくれた。
楽園。そんなものがインドにあるのか。”歩き方”をCheckすると確かに存在する。
次の目的地はそこに決めた。プランを立ててないから別にどこでもいい。
ゴアは南に位置するので、そこまでは例によって列車で行くのだが、その列車にのるまで、半日ほどバス移動しなきゃいけなかった。
長距離バスは初めてだ。少し緊張する。
バスはオンボロのバス。冷房もないし、くっそ熱いし、シートも超固い。
隣には、バス会社の社員が乗ってきた。
「〇〇に行きたんだ。」そういうと彼は、「ああ、そこは俺の地元さ。着いたらいいホテルを見つけてやるよ。安心しな」と笑顔で言ってきた。
水とかブドウとかを色々くれて、むっちゃいい人だった。やっぱちゃんとした職業の人は、それなりにちゃんとしてるんだ。
結構、悲惨な乗り心地だったが、無事到着。
約束通り、バス社員のおっさんは僕をホテルまで案内してくれた。
・・・・。
・・・・。
おかしい、段々辺りから人気がなくなっていく。ああ、おかしい。
って思ったときには遅かった。
暗闇から、3人の男が刃物を持って現れ、金を出せと言ってくる。
今度こそ詰んだ。
空手段持ちの実力を発揮してもよかったが、こんなところで死んだらださすぎるし、そもそも恐怖で足が震えて動かない。
荷物を差し出すが、現金は入っていない。現金は下着と身体の間に入れてある。
これが奪われたら、終わりだ。パスポートも入ってる。
荷物を物色するが金目のものがなく、何故かキレだす。
彼らは僕の腰に付いてたカメラを奪い、走り去った。
よかった、身体に隠してる可能性は考えなかったらしい。
緊張がほどけたせいか、もうホットして、がっくりと膝をついた。漫画のように。
そして、ちょっと泣いた。
とりあえず、自力でホテルを探すが、今度はカメラを奪われた怒りがこみ上げてきた。
”あいつら”とバスの社員はグルだったのだ。上手いこと騙された。もう人間不信である。
関西弁でブツブツ言いながら歩いてた僕は相当、殺気を醸し出していたのか、詐欺師はついてこなかった。
本気で帰ろうかなと思ったが、ここまで来たし、楽園に行ってから帰ることにした。
というわけで、僕のインドでの写真は同行した旅人が送ってくれたものと、しょっぼい携帯のカメラで撮ったものだ。
本当、自分の未熟さにあきれた。
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