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戦時におけるプロパガンダの手法について

宣伝を賢明に、継続的して使用すれば、
国民に天国を地獄と思わせることもできるし、
逆に、きわめてみじめな生活を極楽と思わせることもできる。

-アドルフ・ヒトラー

物騒なニュースが続いています。

そんな中、以前から戦時における「プロパガンダ」に関心があり、ここ最近、何冊か本を読みました。

興味深くよめたので、なるべく簡単な言葉でまとめて、シェアしておこうと思います。

プロパガンダとは?

特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為
-Wikipedia

宣伝活動のすべてがプロパガンダに含まれます。

そう考えると、私たちの日常にプロパガンダは溢れています。近年、PR(パブリッシュ・リレーションシップ)という言葉が一般的な言葉として用いられるようになりました。

企業のPR活動は特定の商品やサービスを流行させるということが目的なのですから、これも言ってしまえばプロパガンダと同義です。

「いかにして特定の特定の思想・世論・意識・行動に一般市民を誘導するか」がプロパガンダの技術であり、これらの研究は現在の広告やPRの技術にも広く応用されています。

しかし、一般的な言葉のニュアンスは「大衆への情報操作や心理誘導」というネガティブな印象が強いかもしれません。特に注目されやすいのが、戦時においての国家が民衆に対して行ったプロパガンダの活用です。

戦時におけるプロパガンダでは「いかにして戦争に対して積極的な世論をつくることができるか」に焦点が当てられます。第二次世界大戦のような総力戦では、国民の協力が不可欠であって、国民がやる気を失ってしまえば、お話にならないのです。

つまり、その戦争における自分の国の「正当性」や「正義」を一般市民に広くアピールし、「同意」を得るためにプロパガンダが用いられるのです。

またあらゆる戦争には「敵」がいます。プロパカンダは、敵がいかに「悪」であるかを民衆にアピールする技術でもあります。

 

プロパガンダの歴史

戦時のけるプロパガンダの活用例は、様々な書籍において解説されています。具体的な手法の紹介のまえに、一部、わかりやすいプロパガンダの活用の歴史をご紹介しましょう。

 

海外におけるプロパガンダ

よく語られるのは、戦時におけるナチス・ドイツの例です。アドルフ・ヒトラーは熱狂的な独裁政治を確立させるため、プロパガンダを活用したというのは有名な事実ですね。

彼はプロパガンダの天才だったと言われています。著書「我が闘争」ではその事実や手法が刻々と記されていますので、ご興味のある方は一読をおすすめします。

またソ連建国の父「レーニン」の存在もプロパガンダを語るには避けては通れない人物です。彼もまた大規模な情報操作で民衆を誘導したとされています。

 

日本におけるプロパカンダ

日本においても、戦時のおける情報戦、思想戦は重要視されていました。日本におけるプロパガンダの第一人者は清水盛明という人物です。

彼は日中戦時には陸軍省新聞班(のちの情報部)に所属し、プロパガンダのスペシャリストとして活躍しました。彼の策略のもと、悪名高き「国民精神総動員運動」というキャンペーンが行われたとされています。

 

プロパガンダの手法

それでは具体的なプロパガンダの手法を見ていきましょう。

どのような点に留意すれば効果的なプロパガンダを展開できるのか、また実際にどのような媒体を介して、プロパガンダを行うのかという点についてお話します。

 

宣伝(プロパガンダ)は楽しくなければならない

先に紹介した清水盛明はプロパガンダは「楽しいものでないといけない」という言葉を残しています。

戦時におけるプロパガンダと聞くと、どうしても上からの強制的なものをイメージしてしまうのですが、それではうまくいかないと清水盛明は言うのです。

由来宣伝は強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら不知不識のうちに自然に感興の裡にしたって、啓発教化されて行くといふことにならなければいけないのであります-戦争と宣伝

だれしも上から押さえつけられるのは嫌なものです。そのような強制的に無理につくりあげた民意は非常にもろく、崩れやすい。

ですから、あくまで自然に、たのしく、きづかれないように民意を誘導しなくてはいけないのですね。当時からこの視点のあった清水盛明はまさに天才だったのでしょう。

また、ヒトラーも同じくプロパガンダにおいては「庶民が親しめるものであること」が必須であると我が闘争で説いています。

いつの時代も、もっとも恐ろしいのは娯楽に溶け込んでいるプロパガンダです。批判や違和感が生まれるようでは、効果的なプロパガンダは展開できないのです。

 

娯楽を用いたプロパガンダ

楽しく」とはどういうことでしょうか?

簡単にいうと、それは娯楽、エンターテイメントを用いるということです。

テレビ番組、映画やアニメーション、イベントや展覧会、歌、お笑い、観劇、写真、漫画や小説、あらゆる娯楽です。

これらの中に自然に、すこしづつ思想を溶けこませる「仕掛け」を施すのです。

例えば第二次世界大戦期に公開されたディズニーアニメ「総統の顔」は大変印象的な例です。原案は「狂気の国のドナルドダック」というタイトルで、あきらかにナチス・ドイツを嘲笑している内容なのです。今見ると完全に狂っていますが、これも徐々に刷り込みをかけられている中でみると、自然なものとして映るのです。

日本でも有名な歌劇団やコメディアンが政府の意向によりそい、娯楽をとおしてのプロパガンダに協力していました。

いつの時代もお上の意向をくみとるほうが商売はやりやすい。利益を追求する企業としては合理的な施策であるということです。

 

映画によるプロパカンダ

このような娯楽を通したプロパガンダは、戦時でなくても行われていると感じます。もっとも分かりやすいのはやはり「映画」ではないでしょうか。

私たちは映画を自然に鑑賞しているあいだに、その国の文化や価値観、そして作り手の意図を刷り込まれています。たちがわるいのは、作り手が意識していないこともあるということです。だからこそ、自然なのですが。

例えば、アメリカの劇中の「敵」はムスリム国家であることがとても多いと感じます。映画ではありませんが、私が好きな大ヒットドラマ「24」なんて違和感を感じるほどです。

 

サブリミナル効果

映像を用いたプロパガンダ手法のひとつに映像の随所にコンマ0.数秒のメッセージを差し込むというものがあります。

いわゆるサブリミナル効果をねらったものです。

「目視も意識もできない、わずか0.数秒のメッセージに何の意味があるの?」と思うかもしれませんが、人は無意識へのメッセージの方が強烈に印象に残ってしまうのです。

専門的な話をして恐縮ですが、いわば催眠術でいう暗示的な効果が期待できるということであります。

 

バカにも伝わるメッセージ

プロパカンダにおいて、重要な要素のひとつは、シンプルかつ明快なメッセージです。

ヒトラーは我が闘争の中で、「宣伝は、学識のあるインテリゲンツィアに対してではなく、永久に教養の低い大衆に向けてあるべきである」と説いています。

つまり、頭のいい人たちにだけわかるような難しい言葉を使うのではなく、バカにもわかるようにしなきゃだめだよと言っているのですね。

そのためにはメッセージがたくさんあってはいけません。たくさんあったら、理解できないひとがいるからです。

なので、伝えるメッセージはかぎりなくシンプルなものに「絞る」必要があります。

これは現在におけるPR活動においての成功例をみてもあきらかです。

 

感動をともなわなければならない

上にくわえて、メッセージには感動が必要不可欠です。ヒトラーの演説は感情に訴えかける熱い内容であることが見てとれます。

感動とは、「共感」という言葉に置き換えることができます。

そのために様々な手法を用います。上にあげた「娯楽」はまさにぴったりというわけです。娯楽は感動を誘発するためにつくられているのですから。

 

魅力的な第三者による説得

また、今でいう芸能人や、魅力的なモデル、芸術家を宣伝塔として起用することもあります。戦時においては、芸術家もプロパガンダに一役かっていたのです。

魅力的な第三者がメッセージを語ることが重要であることは今のテレビCMをみれば納得できるはずです。

マニアのおじさんが商品を語るより、その商品に愛のない魅力的な第三者が語る方が商品のイメージが格段に良くなる効果があることは、数々の実験で実証されています。だからこそ、タレントのイメージをクライアント企業は気にするのです。

 

まず、与える

国民にとって都合のよい政策をおこなうことで、同じく共感や協力を得やすくするという技法もあります。

マーケティングやPRの世界では、「返報性の法則」といわれていて、無料プレゼントキャンペーンなどでよく用いられています。

「いかに国民に寄り添っているか」をアピールするわけですね。

 

繰り返す、なんども繰り返す

上に通じることではありますが、プロパガンダにおいてはメッセージを何度も、何度も繰り返すことが効果的だとされています。

何度も繰り返せば嘘でも人は信じる。

ナチス政権の立役者であり、宣伝の天才ゲッペルスはこのような言葉を残しています。

これは現在の政治家の演説でも意識されていると思います。思い当たる節があるはずです。

わかりやすい言葉を何度も、何度も、何千回も繰り返すというのは効果的な手法だからですね。

「繰り返す」のは単純に演説でメッセージを繰り返すだけではありません。

 

ポスターによるプロパガンダ

例えばポスターなんかもそうでしょう。

そこを通るたびに何度も何度も目にすることになるのですから、効果的な手法といえるでしょう。戦時には様々なポスターが発行されました。

ちなみにこのポスターをプロパガンダに用いる際は、一箇所に一枚づつではなく、一箇所に大量に貼ることが重要だと先に紹介した清水盛明だと説いています。

 

追記:「私、日本人でよかった」のポスター

ちなみに2017年5月現在、軽く炎上中のこちらのポスター。


これらの話をふまえてから見ると、少しぞっとするものを感じます。明快かつシンプルなコピーに、女性モデルを起用、かつ発行元が一見するだけではわからない。

空想ですが、炎上が「作り手が狙ったもの」だと考えると、もう少しぞっとすることができます。批判的な意見であれ、なんであれ、結果的には拡散するのですから。

このポスターにどのような意図があるかは不明です。

 

メディアによるプロパガンダ

米国では、民衆の心理を深く理解した企業が政府に関する情報のメディアコントロールを行っています。日本においても、選挙や政府による会見の際にはそれ専門のアドバイザーがついたりしていることは有名な話ですね。

テレビは最もリーチ力の高い媒体ですから、利用価値が高いのです。

情報のすべてには作り手の意図があります。報道番組をみていてもわかるでしょう。作り手の意図によって、情報はよくも悪くも映るのです。報道しない自由という言葉があるくらいです。なにかしらの意図があろうとなかろうと「中立はありえない」と考えることは重要です。

 

インターネットによるプロパガンダ

現在においては、テレビや新聞といった比較的コントロールが容易な媒体だけでなく、インターネット上の戦術も不可欠でしょう。インターネットの怖いのは拡散を意図して起こすことができることです。

私程度でも「なりふりかまわない」という条件があれば、意識して情報を「炎上」させることも可能だとおもいます。専門家であれば、朝飯前でしょう。

そしてその裏に仕掛けを施しておく。

マスメディアと同様に、情報の発信側には必ず意図が含まれています。

たとえば、最近注目をあつめている「まとめサイト」などは、作り手の意図がおおいに含まれています。どのコメントを採用するか、しないかはまとめる側の自由なのです。

実際に検討されているかはさておき、現実的な手法だとおもいます。

 

プロパガンダを防御するには?

現在社会においては、あらゆる手段で説得(プロパガンダ)することが可能であるため、完全にそれらに身を晒さないということは現実的には不可能でしょう。すべての情報をシャットダウンする必要があるので、山に篭るしかありません。

現実的には、情報を鵜呑みにしないこと、そして正しくモノゴトを判断できるだけの知識を持つことではないでしょうか。

どのような主張も、正義にもなれば悪にもなりえます。一方的な情報が伝わってきた際には、違う側面を探す癖をつけることが大切だと思っています。

そして、知識。今の時代は特に、ただしい情報や知識の量こそが武器になります。正しい情報と知識を豊富にもっておくことで、正しい判断ができるようになります。

説得を回避できないとはしても、知らず識らずのうちに色眼鏡をつけられるよりかは、説得についての知識を持ち、自分で判断や行動を選択できる方がいくらかは健全だと思っています。

 

参考書籍一覧

以下の書籍を参照、引用させて頂きました。