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ネット上の一連の炎上事件について|”晒したり、拡散する者の過剰な正義感の方が異常”

seigi

最近、少し収まったような気がしますが、少し前までtwitterや某掲示板を中心に「炎上」事件が後をたちませんでした。

当ブログでもいくつか記事を書かせてもらいました。

よく考えると、「炎上」って異常っちゃ異常だなと正直思います。

火種の方々の行動はもちろんですが、何か直接に利害があるわけでもない人が、どうしてそこまで「炎上させたがる」のかという点でも。

これに関して、結構切り込んでいる記事が話題になっていますのでご紹介します。

引用&ソース:石田衣良正義すぎる人たち

コンビニのアイスクリーム用冷凍庫に横たわる。

ピザ生地に顔を押しつける。

全裸でチェーン店のカウンターで食事をする(6人一列)。

食器洗い機に身体を押しこむ。

どれもすぐにイメージが浮かぶネットの迷惑画像の数々だ。ひとつひとつをよく見ると、微笑ましい若気の至り的なお間抜け写真でしかない。

バカッターとか、バイトテロとか、さまざまなネーミングがつけられているが、SNSに投稿された悪ふざけ写真にすぎない。

よくハリウッドの青春映画を観ると、むこうの大学生は男も女も実にいろんなところでお尻をだす。バカだなあとは思うけど、別に怒るほどのこともない。ぼくはずっとそう思っていた。

それがこのごろのネット社会では、ちょっとしたおふざけを容易に見過ごしてはくれないという。この手のおバカ画像が炎上するパターンは決まっている。誰かが 投稿した写真を、許せないといって別な誰かが探しだし、それにコメントをつけて、あちこちのSNSで「晒す」のだ。拡散した画像を見た人たちが、なぜかひどく怒って、飲食店やコンビニに苦情電話やメールが殺到する。

実際にはその地域に住む人でも、その店の常連でもない無関係の人間だ。担当者は平謝りで、アルバイトは首になり、ときにはその店舗自体が閉鎖されたりする。なんと生産性のない一回転だろうと、あぜんとするしかない。

これはなかなか難しい。ダメなことはダメで、「怒るほどことはない」という訳でもないとは思います。

ただ、「晒す」という行為によって怒るその後の流れについて「生産性がない」と思うのは僕も同意です。

「ダメなことはダメだけど、やりすぎでは」という感覚です。

続きを。

不思議なのは、この手のおふざけ画像を探すためにネットを周回しているパトロール役がいること。見つけだすや、すぐに晒して火をつける者が存在するのだ。たいていは良識ある正義の味方の振りをして、過剰なまでにクレームをつけ、店側の対応を求める。ネットにはこんな書きこみがあふれる。

「こんな店つぶれてしまえ」

「バカなバイトは逮捕しろ」

「二度とこのチェーンはつかわない」

いや、それほど重大なことだろうか。衛生面での懸念はわかる。それによって、店舗のオーナーは経済的な損失をこうむるし、不快に思う人もいるかもしれない。バイトの学生だって仕事がなくなり困るだろう。

第一、ちょっとふざけたけれど、普段はよく働くいいやつかもしれない。おバカ写真一枚は果てしなく責任を追及されてしまうほどの罪なのか。

ぼくが今の社会で息苦しく感じるのは、 過剰なまでに正義を求める人たちの存在だ。正直にいおう、悪はごく少数だし、最初から悪だとわかっているので、かんたんに避けられる。実際にはさして怖くない。

怖いのはいつの時代も正義で、とくになんらかの刺激でプライドを傷つけられた正しさだ。自分が正義のサイドにあると信じる人たちの執拗さと復讐ほど恐ろしいものはない。

考 えてみると、次男が窃盗で起訴猶予になった司会者とか、暴力団関係者とのつきあいにより引退したコメディアンとか、夫がいない留守に別な男を自宅に連れこんだ女性タレントとか、「傷つけられた正義」によって裁かれた人たちが無数にいる。マスコミは集団リンチのように仕事を辞めるまでつつきまわす。

しかも、正義と嫉妬を基にしたセレクトなので、つぎに誰が狙われるのかわからない。おバカ画像の若者も、先にあげた3件の当事者も、“犯罪者”ではないのだ。まったく「正義すぎる人たち」は恐ろしい。

ぼくは毎日のように原稿を書いているので、ツイッターもブログもやっていない。フェイスブックもミクシィもゼロ。自分の名前の検索も当然しない。それで十分心安らかに暮らせるのだ。みんなも過剰に正しい人にはならないようにね。人は誰でも微量の悪や毒をもつ。他者を裁くときは自分の悪について、思いをめぐらせる。それが大人の方法だ。

という形で、炎上させる人たちのことを「過剰な正義を求める人たち」と表現されています。

ダメなことはやはりダメだし、1番悪くて、どうかしてるのは炎上を提供する当事者だとは思います。

ただ、同時に「過剰な正義を求める人たち」も少々異常だとは思います。

僕はその方々の気持ちはよく分かりませんが、見ているところ「正義」がそこにあるのかも疑問です。

多くの場合、匿名で利用できるシステムを使った書き込みです。身分をさらしてまでの批判はあまり見かけません。

ほんとに正義とやらがそこにあるならば、身分を明かして論じるべきでしょう。

僕が思うに、

  • なんとなく面白そうだし、全然関係ないけど、なんか書いとくか。悪いのはこの人だし。
  • なんかむかつく。
  • 拡げたら困るだろうな。クビになったり、退学になったり、そしたらなんて面白いんだ、ざまあ。

みたいな感覚かなと、ざっと見ていると思ってしまいます。

炎上の取り巻きに正義なんてあるんでしょうか。

身分を明かしてまで過激な発言をしないということは、

その行為自体もモラルに反しているということがなんとなく分かっていると思うのです。

「人は誰でも微量の悪や毒をもつ。他者を裁くときは自分の悪について、思いをめぐらせる。それが大人の方法だ。と締めくくられていますが、正にその通りだなと思います。

 

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