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「自己責任」と騒ぐ日本は極めて奇異
2月1日、イスラム過激派組織「イスラム国」とみられる組織が後藤健二さんを殺害したとする動画がインターネット上に投稿されました。大変悲しい出来事です。心からご冥福をお祈り申し上げます。
本件に関して、以前からインターネットやメディアでは「自己責任」という言葉が発せれています。特にインターネット上ではこの手の主張が多くを占めていると感じます。要は「危険と分かっていながらも、現地に足を踏み入れたこと」を非難しているのであります。
もちろん、主張の理解はできますし、一理ある部分もあります。しかし、このような事件が起こって、自己責任という考えが真っ先に浮かび、ネットやメディアを通して発信するのはいかがなものかと思うのです。
ロイター(イギリス)は「日本では、イスラム国に拘束された人を『自己責任』と責める者達がいる。我々欧米人との違いが露わになった」との記事を発信しています。
そう、まともに考えて、自己責任論が多数派を占めるのはおかしい。
メディアや私たち国民は、このような残虐な行為を行った組織に対して批判の声をまず第一に叫ぶべきであり、残された家族や後藤さんの安否を気遣うことが最優先されるべきです。それが人として当然のことで、自己責任などという発想は極めて屈折した、おかしな主張だと僕は思います。
加えて、大手メディアは後藤さん含め、多くのジャーナリストのサポートのもと、現地の情報を発信を行っています。
なぜか軽視されがちですが、彼らジャーナリストの活動の意義は極めて大きい。その恩恵を受けているのも私たちであり、メディアはそれら情報に対して多額の報酬を支払っているのにも関わらず、いざ危険が及んだら「自己責任」とは極めて無責任な話ではありませんか。
この「自己責任論」は2004年のイラク人質事件のときにも見られ、政府がこの手の発言をしたことに大きく違和感を感じました。
これに対して、米主要紙では「JIKOSEKININ」という言葉が紙面を飾り、米政府も「自己責任はおかしいだろ」という立場をとりました。ヨーロッパ圏でも、大学等での日本研究の一環としてこの「自己責任」が取り上げられているという情報がTwitterで上がり話題となりました。海外では、自己責任は極めて特異な考え方だと捉えれています。
なぜ、日本でこのような主張が大半を占めるのかのバックグラウンドに関して、ニューヨークタイムズは「日本の「自己責任論」は「お上意識」の派生物で、日本人は政府批判精神が希薄だ」と主張しましたが、これに関してはイマイチ分かりません。「だから日本ではデモが起こらないんだ!」とかいう主張を展開できそうですが、一概にはそうは言えないと思います。
本件と比べるものではないかもしれませんが、イジメ問題で「いじめられた方が悪い!」などという主張への違和感と同様なものを感じます。
とにかく、本件に関しては後藤さんのこれまでの活動の意義を讃え、犯行組織に対しての批判を大きく表明すべきです。
またジャーナリストの方々に対して、政府側から一層の注意、同時にサポート体制を取るべきだと思います。
そして、このような残虐な事件がなくなることを、切に願います。