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激論!高校生の茶髪・ピアスは悪か
今朝はこんなニュースが話題になっていました。
要約するとタイトル通りで、高校生に校則だの何だの言って ピアスや茶髪の禁止をするのは、悪しき統制主義であり、好みの押し付けではないかと、そんなことを現役の教師が新聞に投書したのです。
Twitterを中心に炎上し、どこかの高校ではコピーした新聞を校内に配布するという騒ぎまで起こったそうな。
僕の意見を書いてみようと思います。
最初に立場をはっきりさせておくと、僕はこの方の主張は浅はかだと思いました。
何を持って「悪しき」統制主義なのかがよくわかりませんが、僕は「統制主義が悪い」とは僕は思いません。
多かれ少なかれ、学校というところは、”国家が定めた”ルールや常識を育み、将来、国の生産性を高め、より良い形での国家の存続と繁栄を目的として、国家の管轄の下、教育が行われる施設だと思っています。
徹底した協調性、規律性を育むことが、我が国では正義とされている傾向にあり、またそれは社会に出た上ではある程度、正しいことです。戦後、圧倒的なスピードで日本が経済成長し、また世界では有数の治安の良い国となったのは、教育のお陰といっても過言ではありません。
そして、協調性、規律性のベースにあるには、やはり規律の厳守です。それを徹底して教え込むため、校則違反は厳しく取り締まる。
学校という「小さな国家」。そこにはルールがあります。所属した以上、守らない者は罰っせられる。トップが黒といえば黒になる、そこには理屈など必要ありません。
学校とはそういうものです。
高校は義務教育ではありませんから、嫌なら辞めればいいのです。
茶髪を容認するにしても、集団にはルールが必要であり、どこかで線引きはする必要があります。
そうでなければ、じゃあ、刺青はいいの?裸はいいの?っていう理屈も通ってしまいます。
ルールを設ける側の気持ちに立つと、厳しくしておいたほうが諸々のリスクを減らせるということでもあります。
茶髪がダメな理由などありません。
躾がなっていないことと茶髪を結びつけることや、茶髪だから生活が乱れるなどと考える人は、それこそ思考停止しています。ダメな理由は、学校が作ったルールにダメと書いてあるからです。
(もちろん、それは国家が定めた法の範囲内での話です。)
少し話が飛躍します。
ある意味で教育は、偏見を助長する側面もあると思います。
国家が定めた正しい人間像を創出するための施設として学校がある以上、これは仕方がないことです。
何が正しいかを決めるのは国家です。
「茶髪はダメということは、茶髪の人はダメな人だ!」
厳しく教えられる「茶髪がダメ」に、合理的な理由がないのですから、そういう偏見的な思考に結びついても不自然ではありません。
また、法律が改定されるように、ルールは時代によってある程度は見直されるべきでしょう。
それをしないのは怠慢と捉えることもできます。
ただ、そんな理屈を振りかざしたって、ルールを決めるのは学校です。
中学の頃、ある先生が「人は見た目で判断してはいけません」と言うことがありました。しかし、人を見た目で判断するようにしているのだから、それはさすがに矛盾があると中学生の頃に先生に言ったら、そんなことを言ってはいけないと叱られました。
最後に極論を挙げますが、教育は国家による刷り込みだ!と言ってしまえば、それはその通りで、それを否定するということは教育を否定することになり、結果的には国家を否定することになります。
ルールは破るためにあるとアホな人が言ってましたが、みんながルールを否定すれば、国家は崩壊します。
国家が定めたルールが気に入らないなら、学校と同じく、嫌なら出て行けばいい。
幸い、どこに住んで何をするかは自由だと、憲法22条(ルール)に定められていますから。
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