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就活における「求める人物像=コミュ力が高い人」な風潮は莫大な損失を生む
最近、何かと『コミュ力』って言葉をよく聞きます。”シュウカツ”界では、『求める人物像=コミュ力』が今やテンプレート化していますね。
確かに、コミュニケーション能力は社会生活において重要です。
しかし、あまりにも『コミュ力』ばかりを重要視する今の風潮は、果たして絶対に正しいのでしょうか。
そんなことが読み解ける、ある世界的に有名なスピーチもご紹介します。
よく聞く割にコミュ力の定義は曖昧ですが、しばしば『コミュ力が高い=外交的』と捉えられます。
一般的に「人見知りせず、ハキハキと物を喋り、誰とでもすぐ仲良くなり、外に出て活発的に活動し…」というような人が「コミュ力」が高いとされ、一方、そうでない人は「コミュ力が低い」とされ、皮肉をこめて「コミュショウ(障?)」とまで、言われてしまう。
シュウカツにおいては、「求める人物像=高いコミュニケーション能力」というフワフワしたものがテンプレート化しています。
極端かもしれませんが、「まじめに授業に出て、成績が優秀な内向的な人」より、「ふらふらしてて成績もイマイチだけど、面接で好印象を抱かせるのが得意な人」の方を企業は求めているということになります。
思い返すと、サークルやクラブ等、組織の代表を決める際も、外交的であることが一つの条件になっているのではないでしょうか。巷に溢れている「リーダー論」からも、そのような風潮が読み取れます。
現状、このように「外交的であること」の優先順位が非常に高い社会の風潮がります。
これに関して、僕が感銘を受けた世界的に有名なスピーチがあります。
『世界はあなたと、あなたの能力を必要としています。』で締めくくるこのスピーチ。僕は初めて見た時、本当に感銘を受けました。 有名なスピーチですが、見たことがない方は、ぜひ見てみてください。
スピーチを要約すると「今の社会では、外交的な人が高く評価される。一方、内向的な人にとっては肩身の狭い社会だ。しかし、内向的な人は世界にものすごい才能と能力をもたらしているのであり、内向性はもっと評価され奨励されてしかるべきだ」という内容。
この中でスーザン氏は、クリエイティビティやリーダシップの分野では、内向的な人の方が能力を発揮しやすいという事を客観的データと共に話しています。
そして、ある面では外交的な人よりも優れているにもかかわらず、 内向的な人が能力を発揮できない社会の風潮は、企業にとって大きな損失であるとも言っています。
例えば、人と仲良くすることが上手いことと、斬新なアイデアを出す能力は決してイコールではないと思います。革新的なアイデアこそが経済を動かしているのは周知の事実で、その機会を減らすことは僕たちにとって大きな損失ですよね。人にはそれぞれ、向き不向きがあって、得意なフィールドがあります。
企業が内向的な人に対して能力を正しく認識し、能力を発揮できるフィールドを作ることができれば、求人情報誌から「求める人物像=コミュニケーション能力が高い人」という文字が消えるのかもしれませんね。