BLOG, 思うこと
どうして大人になるとゲームをしなくなるんだろう
部屋を整理しているとドラゴンクエストのソフトが出てきた。
小さな頃、テストでいい点を取ったからって言って祖母が買ってくれたものだ。
おもちゃ屋さんからの帰り道、電車の中でこっそり説明書を読んじゃうほど”ワクワク”していたのを覚えてる。
あんなにワクワクしたドラクエ。
いつから遊ばなくなったのかなとふと思った。
ゲームに限らず、あの頃の「遊び」ってどこにいったのかなって。
ある程度大人になってからの「遊びにいこう」の「遊び」は、子どもの頃の「遊び」と性質が違う。
もちろん、成長するにつれて、遊びが変化していくのは当然のこと。
「大人になると、遊び方が変わるよね」ということを言いたいわけではない。
みんなで集まったり、買い物をしたり、お酒を飲んだり、食事をしたりっていうのは確かに楽しい。
楽しいけど、あの時のおもちゃ屋さんの帰り道や、秘密基地を作っていた時ほどワクワクしていない。
そう、ワクワクしていない。
冷静に「それって心の底から楽しいか」と聞かれると、結構答えに詰まってしまう自称「遊び」が多いなと。
そういう意味で性質が違う。
僕らが生きる世界は大人になるにつれて、仕事、勉強、お金、世間…と数字やロジックの主張が強くなってくる。
それらを追いかけていくと、段々、あのときのワクワクした記憶が薄くなってくる。
最悪、どこかへ消えてしまう。
そして、まるで日頃の憂さ晴らしみたいにお酒を飲んだり、買い物をしたりっていうのが「遊び」になってくるのかもしれない。
どうしてこんなことを突然思ったのかというと、最近は心の底からワクワクするようなことに次々と出会って、「久しぶり」って思っちゃったから。
つまらない毎日を生きているつもりはなかったし、毎日充実してるけど、このワクワクする感情はほんの少し、留守にしてたみたい。
突き動かされるようなワクワクする感情を失ってしまっては、アートに生きることはできない。
カッコいいことを言うと、アーティストを自称するなら、子どもの頃の”あの”気持ちを一瞬でも復活させてあげるのが使命だろうなと思う。僕の場合、その手段はマジックかもしれないし、ビジネスかもしれないし、イベントかもしれないし、生き方かもしれない。
世界を旅したときのことを思い出す。未熟な考えなのかもしれないけど、なんだかんだ言って、日本に生まれてきた時点で相当恵まれている。
せっかくだから、ワクワクしながら生きたいって確かそのときも思った。
「大人が本気で遊ぶと、それは立派な仕事になる。」
僕が尊敬している人が教えてくれた。
ただ、忘れてはいけないのは、そんな風に生きる為には人一倍、いや、何倍も知恵もいる。お金だっている。学ばなきゃいけないことはたくさんある。
本気で遊ぶことが”目指す未来”なら、学ぶことはそのための手段であって、手段に埋もれてはいけない。
最近、ワクワクしてないなって思ったら黄色信号。
たまにはゆっくり、自分の未来から逸れてないか、修正してあげる時間も必要かもねってお話でした。