思うこと

「変人」に厳しい社会で「変人」が成果を出す方法を考える

人のことを言えたものではありませんが、職業柄、私の周りには愛してやまないユニークな人間が多く集まります。彼らは一癖も二癖もある変人ですが、社会的には成功をおさめています。

一方で、どうしようもない、「ただの変人」ともよく遭遇してきました。

面白いもので、世間は社会的に成功した変人には、「ユニーク・クリエイティブ」というポジティブな評価を下します。

しかし、ただの変人は「社会不適合者」とみなします。天才と○○は紙一重とはよくいったものです。

要は結果論なのですが、しかし、一体何がその紙一重を決めるのでしょうか。少し考えてみます。

美しい花でも咲けない場所がある

結論から言うと、成果を出す変人は「自分の能力を発揮できるベストな環境」を選んでいます。または周りの人間がそのようにサポートしています。

変人、変人というとどうもネガティブな印象を与えますが、なにかの専門家、スペシャリストと言われる方々もどこか常軌を逸した側面があります。そう考えるとピンとくるかもしれません。彼らも立派な変人です。並外れているのですから。

変人はある状況下では極端に能力を発揮しますが、別の環境では全く使い物になりません。能力値が尖りすぎているのです。

よく成功したスポーツ選手が引退後に飲食店を始めたりしますが、高い確率で失敗すると言います。スポーツでのぼりつめることと、飲食店を繁盛させる能力は全く別だからです

何事もうまくいく変人は、自分の強みと弱みを理解していて、それを十分に発揮できる環境を選んでいるように思えます。

 

「変人」と「エリート」

変人は、決められた枠組みの中では能力を発揮できない傾向にあり、向かうべき道筋が示されている環境よりかは、自分自身で道を切り開く方が成果を出すことができます。

組織に属するなら、より慎重に環境を選ぶべきです。環境さえマッチしていれば、とてつもなく高い成果をあげることができるからです。少なくとも、私の周りの変人はそのような傾向があります。

その反対にいるのが「エリート」です。彼らは学業での成績も素晴らしく、決められた枠組みの中で、能力を発揮できる傾向が高い。満遍なく用意された課題を平均以上にこなすことができるので、大きな会社などの組織の中で上手に立ち回ることができます。

 

変人に厳しい教育システム

そう考えると、学歴社会を形成する学校教育と変人の相性は極めて悪い。学校教育は良くも悪くも「平均値」を重視するものだからです。極端に能力値が高いことより、平均値が高い方が優遇されるシステムなのです。

総合でトップ評価を狙うには、いくら数学が好きでも、見切りをつけて歴史や語学に時間を費やす必要があります。学校は、両端の外れ値=変人を排除する評価システムなのです。ちなみに、学業の成績が優れていることと知能指数は関係ないことが知られています。

このよく言われる弊害に対して、推薦システム等、変人にも陽の当たる評価システムも徐々に整備されてきていますが、画一化されたレールの上にある以上、なかなか難しい部分があるのかもしれません。

ただ、教育システムの勝者であるエリートは何事もそつなくこなすことができ、リスクを抑えて、それなりの成功を収めますが、驚くような大きな成果を得ることができないように思えます。社会を変革するのはいつも、外れ値に属する変人だからです。

どちらが良いとか、悪いとかではなく、トレードオフと言いますか、住むべき世界が違うのだと思うのです。

大きな成果を出すには、能力値を高めることはもちろん大切ですが、自分の強みを知り、環境を選び間違えないことの方が重要のように思えます。

 

こちらの本、ロジカルで面白かったです。