思うこと, 心理学
赤の他人である芸能人の不倫を批判するという不可思議な行動について。
定期的に芸能人の不倫叩きを煽るメディア、騒ぐ世間。
某有名歌手と某タレントが不倫したからと言って、私たちには全く利害関係がありません。
にも関わらず、わざわざテレビ局に苦情を入れる人もいるくらい、一部の人達は不倫騒動に躍起になります。これは実に不可解な行動だなと思うのです。自分の子供や知り合いだったら分かります。でも叩いている人ってその芸能人のファンでもなかったりするんですよ。
ということで、今日はこの手の話題で騒ぐ人たちの不可思議な行動について考えてみます。
目次
・不倫を叩くのは気持ちが良い。
・不倫叩きは社会秩序を守ろうとしている。
・公開処刑としての不倫叩き
・不倫叩きと有名税
なぜ、赤の他人である芸能人の不倫をこれ見よがしに非難する、一見「労力の無駄」としか言いようがない愚かな行為が蔓延するのでしょうか。
ずばり、他人の不道徳を叩くのはとても楽しいのです。
人間の脳は赤の他人の不道徳な行為を叩くと快感を覚えます。加えて、ネット等では批判するにあたって身分を明かす必要がありません。匿名で人を叩くのはノーリスクですし、大変気持ちがよいのです。
そういう意味で、批判することで日常のストレスを解消しているという側面があると思います。
もう一つ、社会全体に潜む深層心理として「社会秩序を保つ」という意識が働いているのではないかと思うのです。
不倫はやってはいけない悪しき行為である。その思想を支えるのは私たちの道徳心や正義観です。
道徳観は国家や宗教によって異なり、一夫多妻制が良しとされている国もあれば、不倫をしたら公衆の面前で死ぬまで石を投げられるという国もあります。不倫をしたら法のもとで死刑にされるというような社会では、国家権力が不倫という不道徳な行為への抑止力になります。
我が国では「不倫が悪である 」という道徳観が多くを占めるにも関わらず、刑法では不倫は罪であるとは定められていませんし、民法でも違法行為とは定められていません。
不倫は道徳的に悪だと見なされるが、その行為に罰則もなく、公で批判もされないとなると社会秩序が乱れます。
ですから、世間は無意識に不倫という道徳を犯した者を社会的に抹殺し、社会秩序を保とうとしているのではないかと思うのです。
それでは「なぜ芸能人だけが不倫行為により社会的に再起不能になるまでボコボコにされるのか」というと、それは上の理屈になぞらえると「公開処刑」の意味を持ちます。
公開処刑は見せしめ効果によって、民衆を萎縮させ、抑止力を働かせるという効果があります。公で活躍する人が道徳を犯したことに対して「お咎めなし」ということになると、社会的な影響力が大きいのです。そのため、芸能人の場合は不倫をしたらボコボコに叩かれます。もちろん一般の方でも世間体は悪くなりますが、芸能人のそれとは比べものになりません。
芸能人だけボコボコにされるというのはフェアではないということも言うことはできますが、芸能人は公で活躍する以上はそのようなリスクを背負うことは仕方ないことです。有名税的なものです。「個人的な問題です。精神衛生的に悪影響なので、無関係の世間はどうか黙ってください、ぼけ。」と言ってもそうはいかないのですから、有名税とは高いものです。
また「あの人は不倫して叩かれるけど、あの人は叩かれないのはなぜか」問題については、それまでの既存のイメージをどれだけ商売にしているのかとか、事務所のパワーとか、当人のキャラクターだとか、色々とあると思いますが、叩く側としては相手にダメージが大きくないと叩きがいがないのです。メディアも騒いでもらってナンボの商売です。ですから綺麗なイメージで売っているタレントの方が大きく取り上げられます。
戯言を並べましたが、このようなことを考えると世の中から著名人の不倫を叩くという行為は永遠と無くならないのでしょう。
光文社 (2015-08-18)
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