BLOG, 思うこと
万物は陰と陽
女性にとって言葉は外側の世界のものであり、表情は内側の世界のものなのである。
男性にとって表情は外側の世界のものであり、言葉は内側の世界のものなのである。
ー小林太陽
夜桜が綺麗な季節です。まだ少々肌寒いですが。
「シャツ一枚では少々寒いな」なんて、桜を横目に思いながら、本を呼んでいると「世の中全ての事柄には陰と陽がある」なんてことが書いてありました。
陰と陽。なんともそそられる響きです。
改めてそれに関する記述を読んでみて、少々、思ったことを。
不幸な出来事でも、裏をのぞくと幸せを噛み締めている人もいたりする。
喜んでいる一方で、悲しんでいる人もいる。
桜が綺麗な季節もあれば、冬の季節も存在する。
陽は文字通り、支配的・積極的な支配力をもったエネルギー。
逆に陰は何かを生み出したり、育むといった受容的な性質を持っています。
どちらがいいというものではなく、男と女、太陽と月のように、常に対にあるものに対する概念です。
世の中は全てそのようになっていて、世界はそのバランスで成り立っているという話。
上の陰陽思想を研究家でもあった小林太陽氏が残した言葉も、なかなか深いものがあります。
この陰陽思想というのは古代中国の考え方です。こういう模様をどこかでみたことがありませんか?
まさにこれは、陰陽を表していて、この陰陽からまた、陰陽が別れます。これを「四象」と言いますが、このそれぞれの陰陽「四象」からさらに陰陽が別れ、「八卦」と言います。なかなかややこしい。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉もありますが、易占いの類は、この八卦どうしのすべての組み合わせ、六十四卦で、事象を判断するものです。
もう少しややこしいんですが、これくらいにしておきまして、この陰と陽を自分のことで考えると、つまりは”マジシャンとしての自分”ではどういう感じになるのだろうと、ふと考えてみました。ええ、暇なのです。
何が”陽”かと問われるとお客様の前に立ち、華麗にマジックを披露する姿が”陽”なのかもしれません。
しかし、華やかな見えるときもあれば、時には哀れに映るときもあり、ここでも陰と陽があるのかもしれません。
一方で感覚的に”陰”の部分というのはどこにあるのかと考えると、他の誰でもない己と戦う孤独な姿なのかもしれません。
お客様の前でまるで魔法使いのように振る舞う僕の中には、ちょっぴり弱虫な僕もいたりする。
全てを自分ではない何かにぶつけることができれば生きるのが楽なのかもしれませんが、身に起こる全ての事柄は自分に起因があると僕は考えてしまいます。だからこそ、次に繋がる部分もあったりするので、これに関しても、良い面もあれば、悪い面もありで、陰と陽というものは本当にどこにでもがつきまとっているなと考えたり。
「陰と陽というのは、どちらがいいというものではない」というのはその通りです。
批判されるものの中には、賞賛すべき面もある。逆も然り。
何かを目にしたり、感じたとき、感覚的に受け入れたくないことでもよく覗いてみると良い面もあったりする。
そんな風に、じっくり世界を見つめることができるのは素敵だなと思います。
雨で陽気な桜が散っていく姿も陰と陽なのかななんて思いつつ。