思うこと

「その気持ち分かるよ!」というマウンティング・アドバイスは響かない。

何かを言うと「わかる!だって私もね!」という論法に遭遇することがあります。

目上の人とお話すと「私も若いときはそうだったからよく分かる。だから私はうんうんかんぬん。だから、君も頑張りたまえ」と言われる時もあります。

先日、テレビをつけていると「私も子供の頃にいじめられた経験があります!だからその子の気持ちはよく分かります!どうのこうの!」と語っている方がいました。

もちろん、聞いている側としては、吸収できる部分は吸収します。

でも、話し手としては「人の気持ちを理解できる」などと思わないほうが賢明です。

人の気持ちは、理解できない。

マジシャンだって心を読めるのは、マジシャンの時だけです。
やっぱり、人の気持ちは分からない。

「分かりますよ!そうでしょう?」

と強く主張してくる方には、違和感を感じます。

「そうじゃないんだけどな」と思ってしまうことが大半だからです。

(稀にピシャッと心を読んでいるような、鋭いひともいるのだけど。)

表面的に、たどった道が似ているように聞こえるから、自分と同じだと思い込んでしまうのは危険なことだと思います。それは時に人を傷つけることもあるからです。

もちろん、何か似た悩みを持ったことがある人なら、理解できる部分もあると思います。しかし「ああ、私と同じだ。だからこの人の気持ちは今、こうなんだ!」と全てを悟ったようにアドバイスをするのはちょっと怖いです。

いじめられていた人は、いじめられた人の分だけパターンがありますし、私がいじめられたからといって、それを一括りにしてしまうのは無理があります。

子供のころ、ジャイアンにいじめられたことを塾の先生に相談したら「わかる、わかるよ!こうでしょ?そういう時はこうしたらいい!俺もできたんだ、君にもできる!」と熱いアドバイスをくれました。

これっぽっちも合致していなかったので「僕の気持ちはそうではありません。」と言うと、こっぴどく怒られた記憶があります。「それは違う、お前が間違っている。」と。

人は皆、自分の経験から、自分なりの「答え」を持っています。「自分はこのように解決した。だからあなたの正解もこれだ」と。しかし、それが自分以外の誰かにも当然のように当てはまると考えるのはナンセンスです。

とはいえ、悪いことをしたなと思います。その人なりの善意だったのです。

なので以降は、「結局、最後に決めるのは自分なのだから、吸収できる部分はありがたく吸収しよう」と改めるようにしました。

同じ目線で寄り添う

人はそれぞれ自分のメガネをかけて世界を見ているので、なかなか難しい問題です。

こういう会話のミスマッチを極力防ぐためには、何かを相談された側のとき、答えを求めているのか、話を聞いてほしいのか、はたまた背中を押して欲しいのかを見極める努力が必要です。

多くの場合、分かったようなマウントポジションからのアドバイスは響きません。大概は話を聞いてもらって、自分の中で整理したいだけだったりします。

もちろん、時には社交辞令的に「私は分かっている」というアピールをする必要はあります。

そういう表面的なコミュニケーションは別として、打ち明けるような相談や、ディープな話をしてくれた時。それはせっかく心を開いてくれている瞬間でもあります。

境遇が似ている人の話であれば「誠心誠意答えたい!」と思う気持ちが高まるかもしれません。ただ、そこで一歩引いて「人の気持ちは分からない」という前提で話を聞いた方が、お互いに良い時間を過ごせるのではないかと思います。

これは「そんなもの、君にしか分からないよ」と匙を投げているのと、同じようで違います。聞いてくれるだけで救われるひともいるからです。

その上で意見が求められているなら、そういう姿勢で話す。たとえ、気持ちが分からなくても、良い方向に向かうきっかけになるかもしれません。

そんなことを思ったのでした。